コロナ禍に寄せて


戦争はたくさんのものを破壊する。
人命はもちろん、産業や公共インフラ、果ては民間人の家屋など、多くの人の日常を奪ってしまう。
それが何より恐ろしいのは、人の心までも破壊してしまうことだ。
大切な人を失うこと。都合の良い教育しか与えられないこと。いずれも心が破壊されることだ。
私自身には戦争経験がないが、伝え聞いた中で恐ろしさの根本はこれだと考えている。
新型コロナウイルスによる感染症の拡大が世界規模で話題になっている。

フランス大統領の「われわれは戦争状態にある」との発言は記憶に残っている方も多いだろう。
(「生命の本質を見誤っている」との反論もあるが、これは一種の比喩と私は受け取っている。)
会いたい人に会えない。行きたいところに行けない。無論仕事もままならない。
直ちに命を奪われないとしても、少なくとも「戦争状態」という表現を使わざるをえない状況なのだろう。
各方面のメディアでも報じられているが、
2002年ごろに流行したSARSと比較したときに厄介なのは、発症までの期間が長いことだろう。
無症状のまま普段通りの生活をしてしまう恐れがあるため、
「自分が感染していたら」また、「この人が感染していたら」と思ってしまう。
必要とされる予防策を講じる以上に、疑いの目をむけてしまう自分がいることが深く悲しい。
国家を代表する人物の発言よりも、根拠のない目先の情報に惑わされてしまう人がいる。

品切れのトイレットペーパーを見たときに買うなとは言わない。「自分も買っておかなくては」以上のことを考えられる「心」を保つべきではないだろうか。
専門家でなくとも、日本の製紙能力やその供給能力。身近なところで言えば、自分よりも不足している物資を必要としている人がいるのではないか。と考えてみた人はどのくらいいるのだろうか。
国家を信用しようと言いたいわけではない。
自分自身の頭で考えた行動を起こすべきだ。
それは、必要以上に物を買わないことかもしれない。
手洗いうがいや咳エチケットという基本的なことを愚直に行うことかもしれない。
人類は様々な困難を乗り越えてきた。国家間の戦争をはじめ、感染症はその困難の最たるものだ。
現に今回も産業の停滞やインフラの機能低下は免れない。
感染の疑いがある人にかけるべき言葉は「近寄らないでください」ではないはずだ。
前述のSARSは終息宣言までに約8ヶ月を要している。今回の感染拡大に関しても見通しの難しい状況だ。
だからこそ、自分自身で考えること。また、思いやりの心を忘れないようにしたい。
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「緊急事態」で個人に浮き彫りになるもの(仕事編) 2020.04.25